独ソ戦 絶滅戦争の惨禍 よんだ


先日の日記の最後にて、次回更新を独ソ戦の感想としたいと記したことが有言実行になってよかった。実は、電車移動のときのみに読むつもりでいたのだが、金曜日の夜にPS4をポチるという行動に出てしまい、日曜にはゲーミングモニタも届いて遊べてしまう、という状況になっていた。このままだとその感想を先に日記にしたためる羽目になるぞ……と思い、急いで布団の中で読み進めた。文体が心地よく小説を読んでいるかのようだったので、関連のことに知識がなくても時間をかけて読み進めることは苦にならなかった。

内容の振り返り

本編に入る前には、この戦争の凄惨さを客観的に示す数字、そしてその端緒となるヒトラーの掲げたイデオロギー、スターリンのナショナリズムが説明されている。以降、この本の内容は、独ソ戦における戦史のみならずそのイデオロギー、政治外交、経済的情勢など、取り巻く多くの要素にも触れる通史の役割を果たす。

第一章・第二章ではスターリンの「戦争が起こるはずがない」という楽観、希望的観測と、ドイツ側のソ連軍軽視、作戦の甘さにもあらわれた慢心によって両軍が被った損害をかえりみた。ソ連軍は優れたドクトリンに見合う良質な兵力を持たなかったし(粛清のせいだ)、ドイツ軍の強力な突進と戦術はロシアの地では最大限に機能しなかった。
緒戦、ソ連軍は明らかに劣勢であったが、しかし包囲された中でも徹底抗戦を示した。ひとつひとつは小さいものであったが、それが散発することによってドイツ軍も消耗していた。戦線の中で想定外の損害を受けてしまったドイツ軍は、その慢心から補給に関する準備が不足しており、現地民から略奪行為をして憎悪の対象となった。ソ連軍の抵抗が頑強で進撃がめざましくなく、ドイツ軍にとってバルバロッサ作戦の成功は困難なものとなる。強大なソ連を討つためには殲滅の速度が足りず、成果に比べて消耗が上回るのだ。かつてのドイツ軍の成功は迅速な作戦遂行のもとにあったが、兵站への負荷や戦力の疲弊などによってそれは困難にされた。戦争に勝つために必要なリソースを失っていたのである。ドイツ軍の各所での勝利には、補充の能力が機能していないがために、大きな打撃を伴うものとなった。

第三章はこの戦争の性格と目的、惨禍をもたらした人々の選択をふりかえる。
ヒトラーのイデオロギーを基底とした「世界観戦争」。東部総合計画と称される政策案は、東方のゲルマン化構想の綿密な計画であった。しかし、これに大幅な人的リソースを割いた一方で、先のバルバロッサを遂行困難にしたように、ドイツ軍のソ連侵攻は精査されず、杜撰なものとなった。そしてそのことが要因ともなった東部戦線でのドイツ軍の敗退により、この計画は達成不可能なものとなるのである。
その計画は、領土拡張と植民地の獲得に向けては、ヨーロッパにおいてはソ連を征服、東方に植民地帝国を築き、ナチズムのイデオロギーにもとづく「人種的再編成」を行うこと。そしてそれを足がかりにして、さらなる海外進出(対米英)に乗り出すものだ。
ヒトラーのイデオロギーは極右にかぎらず、ドイツに強国の姿を取り戻すことを宿願とする保守エリート層の意にも沿うものだった。ヒトラーによる、ドイツ人がユダヤ人に優越するという人種主義は、その他の対立構造を隠す作用もあった——都市対農村、雇用主対被雇用者などの社会的対立構造だ。内部からの崩壊を防ぐこの共通的な思想・理念は、支配のための方便から、国民に受容される現実的な生存圏論になった。ヒトラーは戦争準備と国民の生活水準の維持、そのどちらも捨てなかった。それがために逼迫した財政や労働者の欠乏を他国の併合や占領民の強制労働で補った。これにより戦争は「収奪戦争」の色を帯び、ナチスから見た劣等人種の国々へは「人種戦争」の性格を持った。そして、目標たるソ連の撃破については、収奪とイデオロギーによる「絶滅戦争」の展開をもって進められた。
戦局が泥沼化し頓挫したバルバロッサにより、ドイツ軍からは戦時国際法の遵守といった軍事的合理性が失われていくのである。第二次世界大戦がはじまると、連合国の封鎖をうけて海外からの輸入が遮断された。すると占領地住民から食料を収奪することが立案された。彼らの餓死によってでも、ドイツ国民や国防軍の飢餓を回避せねば戦争を継続し得ないとして。さらに、ドイツ国家公安本部直属の特殊機動隊である出動部隊は、ナチ体制にとっての危険分子を殺害排除した。ユダヤ系のソ連軍捕虜やソ連軍政治委員の殺害、ユダヤ系民間人の虐殺であった。捕虜となった一般のソ連軍将兵も強制労働など非人道的な扱いの果てにその多くが死に至っている。こうして占領民からの憎悪を稼いだドイツ軍はパルチザンにより大きな打撃を受ける。開戦時、反スターリン体制の支持からなる追い風にも助けられめざましい進撃をすすめていたドイツ軍だったが、この戦いが彼らへの収奪を前提としていた以上、彼らの感情を味方につけることは到底不可能であった。
ソ連軍による捕虜の扱いもドイツ同様人道的なものではなかった。ドイツ側のソ連政治委員殺害への報復措置の意味もあり、捕虜となったドイツ軍将兵をその場で殺害することもあったし、捕虜収容所においては劣悪な環境での重労働、飢餓を強いて、同じように多くを死に至らしめていた。

第四章ではついにドイツ側の戦況の悪化がのぞきはじめ、そして崩壊していく様が明らかになる。
スターリングラードの市街戦におけるヒトラーの愚かな決断によってドイツ軍は壊滅的な戦力の喪失を被った。一方のソ連も休みなく戦い続けており、疲弊し、反攻を受けることになる。両軍共に体力を失うと、ほどなく春の泥濘期を迎えた。この間に両軍で計画された戦略はソ連に軍配が上がる。クルスク会戦とそれに伴うソ連軍の各戦略体制である。ドイツ軍は、堅固な要塞による圧倒的な防備が供えられたクルスク突出部に、ほぼ全戦力が誘い込まれる形になった。

第五章では、ついに戦時国際法を踏みにじる戦争犯罪への批難が裁判という形で表出した際の具体的な弁論が描写された。焦土作戦の実行についてである。
枢軸同盟国たる日伊がドイツに独ソ和平を提案するが、これはかなわない。ヒトラーにとって、敵性国を絶滅させるまで終われない戦いなのである。一方ソ連は、ドイツの脱落を歓迎する米英の支援を受けて国益を強め、スターリンもドイツ打倒の意思を強くしていた。ソ連軍は報復を正義とする言説を流布し、軍人のみならず民間人への略奪・暴行を繰り広げた。
ドイツ軍の敗北が見えてきた中でも、ヒトラーは政治的な和平の道をえらばず、軍事的勝利のみをもとめた。無条件降伏による尊厳の喪失をよしとしなかった。そのためには戦って勝つしかないとプロパガンダに徹した。絶望的な情勢の中でドイツ国民が蜂起しなかったのはその喧伝だけでなく、戦争の中で行われた占領国への収奪によるドイツ国民の特権維持の持続が影響していたかもしれない。やがてベルリンが制圧され、ヒトラーも自殺していた。ヒトラーの遺書は、闘争の継続を望んでいた。ソ連軍に進攻されたドイツ国民が、多く自決した。

所感

第三章が個人的には一番重く、時間をかけて読んだところだと思う。対立構造という概念にはいろいろ思いたくなるところがあって、ここで語られるものとはだいぶ性格の違うものかもしれないが、ステレオタイプ的なレッテル貼りによる分断は生活している中で結構感じることが多い。それは例えば、男女や、年代、日本人とそれ以外、のようなあらゆる「差」を理由にした極端な言説だ。それらの断絶(あるいはそう見せかけられているもの)を覆い隠すように大きな仮想の共通敵が掲げられるというのはなるほどと思わされるところがあった。それと、絶賛読書挫折中の後期近代の眩暈でも分断について語られているところがある。

第四章一節では、ヒトラーとスターリンの判断による失敗が次々に描かれていて、文章としてそのリズムが面白かった。まるでコメディのようだ。でもそれは実際には笑えるものではなく、これによって私には想像もつかない無数の悲劇が生まれていたということを忘れてはならないだろう。

第五章での戦争犯罪の裁判に関する記述にふれて思うのは、どういう性格の戦争であれ、戦争の中で理性・倫理の類が正常に機能するとは思えないから、このような法規があること自体に驚く。後に敗戦国の関係者を戦犯として処すために必要なものだとしても、それが守られる前提であるとは誰も思わないだろう。一度戦争というものに踏み切ったら、渦中で生きている人間は全員、非人道的な扱いを受けたり惨たらしく死に至る可能性を持つことになると思う。だから、いかに踏み切らないようにするか、でしかないし、踏み切ったならもはや勝利以外では安寧は得られないと感じるのは自然なことだと思った。

こんな感じ。
事前知識とかがなさすぎるので、感想を抱く余地があまりなかった。それと、ヒトラーの方に注目して読んでしまったのでスターリン側に対する理解があんまりないかも。あとは四章あたりのロシアの戦略の話も一読しただけでは理解が難しかった(ドクトリンは良かったけど軍人の質がだめだったんじゃないの? という一章の印象が強くて頭に入ってきにくかった)。もう少し周辺の事情に詳しくなってから読むのもいいのかもなと思いました。