特攻隊員の現実 よんだ


こんにちは、fymartymです。

先日は教育格差を読んだけれども、私にとってはかなり読み進めるのが困難で、それを苦悩した日記を書きましたが、本の内容をいい感じにまとめている、著者による記事があがっていました:

まずはこれを見て、興味があるからもっと詳細なデータが知りたい、みたいに思ったら本の方をあたるのがよさそうに思います。

特攻隊員の現実を読みました

閑話休題、特攻隊員の現実を読んだのでその感想を今日は書きます。表題や帯の文言からして、結構エモーショナルな感じかなと思ったのですがそうでもなく(感情は揺さぶられますよ)、かなり読みやすくて、題材に対しては変な感想になりますが楽しかったです。教育とは違ってやや他人事として見てしまう感があって、それで「楽しい」なんていう腑抜けた感慨を持ってしまったのかもしれません。でも内容は本当に興味深くて、結びでは現代にこのような(特攻それ自体ではなくて、やりたくないがやらねばならないような)仕組みがあったらどうなるか、という視座を持つべきことを気づかせてくれるし、読後は読んでいる間の「他人事」感だけでは終わらない……はず(私はどうだろう?)。

以下、内容の振り返り。

一撃講和論

1944年、日本軍の守る島々は相次いで米軍に奪回され、本土上陸も近いと思われた。そんな中連合国は日独への無条件降伏を求める。しかし日本にはまだ本土があり、占領地も保持していたので、戦争を継続したかった。どうやって終戦に持ち込むか? 最後の戦闘で勝利して、そこで戦争終結に持ち込むことでいくらか有利な講和を実現できるだろう、というような考えが唱えられた。これが一撃講和論である。敗戦を喫している段階での講和は単なる降伏に過ぎず、過酷な条件に屈服することを意味する。そうなれば勝利を信じる国民の怒りを買って混乱を招くだろうとして、米国に対して有利な立場を築いた上での和平交渉というものをゴールとしていた。その「戦闘の勝利」はどのようにして生まれるのか−−日本人の一億玉砕である。これによって米軍が戦意放棄することが期待され、対等な講和に繋げられると夢想された。一億玉砕の象徴、劣勢の中の起死回生策となる日本の特殊な新兵器として、「特攻」が俎上にあがった。

フィリピン戦

一撃講和の足掛かりとして開始されたのが、1944年10月のフィリピン戦での特攻だ。勝利を渇望する国民に呼応するように登場した「世界最強の新兵器」。日本が体当たりという形で精神力を示せば、敵米国がいくら物量に優れていようともその戦意は削がれ、勝てるはずだと考えられていた。しかし特攻隊将校の多くは20幾ばくかの若者たちだった。彼らはこれをどう受け止めて戦ったのか。遺書や手紙、会話の記録などからその心情を推察する。死にゆく恐怖から逃れまいと詩を詠む人や、特攻を疑問視しながらも出撃して行った人、「七生報国」の思想(死後も国に尽力すること。自身の死が礎になることを信じていた)から決意を固めて特攻した人など。当然反応は様々だ。また、この時期、国民にとって特攻隊は神格化されており、国や天皇に献身することで「遺す家族に楽をさせてやれる」、「死後に栄誉が与えられる」、そういう報いがあるはずだという思いを支えにしていた人もいた。特攻賛美があったのである。逆に、そのような神格化を嫌う人もいた。賛美は慰めになるかもしれないが、特攻隊員は勝利のために特攻するのである。

なかでも印象に残ったのがp33にある言葉:

「幼年校以来六年半訓練を重ねしは、単に只一艦を沈めるのみにあらず。幾度も出撃して戦いたし」

こう語ったという森本秀郎は、11月27日にレイテ湾で特攻死した。その二日前の言葉だったという。

体当たりは、自らの死を持って敵機を撃墜するものだ。勝利のために、とすると美談にも聞こえるが、それは果たして栄華なのだろうか。生きてさえいれば、もっと戦果を上げられるのではないか。この本に書かれている特攻隊員の様々な声は、そのどれもが強烈な印象を与えてくるけれども、これは格別だった。これまで生きてきて、なんでこの一度きりで死ななければならないのか。国のために戦うことが本懐だったのだとしても、戦闘の中で本当に為したいことはそんなじゃなかっただろう。言い方が悪いかもしれないが、何度も出撃することでもっと大量の敵兵を屠ることができたかもしれない。

沖縄戦

フィリピン戦の特攻もむなしく1945年3月には米軍がフィリピンを制圧する。次に目標とされたのは沖縄だった。この沖縄が守りきれなければ本土が戦場となる。フィリピンが落ちた以上は、一撃講和にはここでの勝利しかあり得なかった。やはり戦局は劣勢であったが、ここでも特攻が日本軍にとっての切り札であり、これに代わる最強の兵器はなかった。挙句には、数百機の特攻隊で簡単に勝利が得られるほど神がかりは甘くないというような訓示もなされた。勝利の奇蹟のため、日本国民一丸となって特攻精神を徹底しろというのである。しかし特攻死した者にとって、勝敗の行方は知る由もない。死に向かう特攻隊員はそれがわかっているから、そのような教えと自らの立場に隔たりを感じていた。彼らには孤独や絶望が付き纏う。それに、このころ、彼らの出撃は戦果の確認が伴わないものになっていた。隊員の戦死を確認するための無電機の搭載されない特攻機も多かったという。彼らの遺書からは、七生報国や皇国という国体の価値観に対する疑念、怨恨を抱えて特攻していくような様が感じられる。

一般国民と特攻

特攻作戦の開始以前も一億総玉砕の雰囲気はあり、一般国民には飛行機や食糧の増産のほか、竹槍訓練参加などが求められた。当初この機運は新聞の投書などでも批判されており、婦人会の竹槍訓練よりも飛行機増産に力をいれるべきであるとか、玉砕するのでなく生き延びて民族の希望を成し得るべきであるというような考えが国民にあったことがうかがえる。神風の名を冠して登場することになった特攻は、その存在自体が飛行機の増産を喚起しており、それと共に戦局を天佑に期待するような国民の心理をくすぐった。

実際に特攻が始まると、新聞がその「大戦果」を報じるようになる。それを受けて感動した国民が戦争協力に駆り立てられ、具体的な動きとしては、戦費調達の国債購入に長蛇の列ができるなどしていた。無論、特攻を人命の使い捨てとみて批判する者もいた。戦果が報じられる一方で東京では空襲が起きていたし、増産した飛行機で自分の住む場所が守られぬことに憤りを感じる人もいた。いくら国家がアジア解放のための戦争と標榜しようと、それが国民ひとりひとりの関心ごとになるわけではないのだ。

特攻はもともと、一時的な戦略だった。一撃講和のためには形勢逆転する必勝法が必要であったが、軍には起死回生の兵器が開発できなかったのである。玉砕によって敵に恐怖を与えて戦意を倦ませ、そのあいだにいずれ新兵器が造れるだろうと、一時的に採用されたのが特攻だった。なんとしても米国に戦争継続を諦めてもらうための、精神論だ。だが、神風特攻は戦局を覆すに至らない。それどころか、1944年の12月27日には東南海地震が日本を襲うことになる−−神風のような神懸かり、天佑を望んでいた日本にもたらされたのは天罰だった。これにより中京地方の航空機工場は大打撃を受ける。ところがこれによる被害は国民に対してはほとんど秘匿されていた。しかし実際は航空機の生産数は特攻開始前後から低下し始めており、その要因は資材不足や空襲激化による工場の疎開、そして地震だった。好転しない戦局に徐々に人々は絶望を覚え始める。国民のあいだでは原子爆弾開発の噂も流れはじめ、起死回生の新兵器を渇望する様子がみられた。それでも絶望的不利の中奇蹟を起こし得ると信じられていた特攻に縋るほかなく、軍や国民がその望みを特攻に託し続ける限り特攻と戦争は続けられていった。

沖縄戦に縺れてもなお、一撃講和への固執は続く。軍は、米国がいかに鉄量に勝ろうと、日本国民すべてを鏖殺(皆殺し)する力はないのだと喧伝した。だからこそ、特攻隊員に続き全員最後まで頑張り抜こうというのだ。戦争を続けなければ英霊の戦死が無駄死にになってしまうというような考えも演説された。国民の特攻への疑念を覆うように、新聞は沖縄戦局を景気良く報じた。国民の作った飛行機でもって、特攻による大戦果がもたらされるのである、と。

沖縄は陥落した。一撃講和は成らなかった。特攻は米艦艇に損害を与えたけれども、そのことで米軍の戦意喪失は達成されなかったのだった。

科学戦争

米国は日本国民を鏖殺する力を持っていた!

日本が開発できなかった原子爆弾を米国は完成させていた。世界初の核実験が1945年の7月16日に成功しており、8月6日、広島に投下される。一発で都市が壊滅するほどの威力で損害は甚大、精神論による徹底抗戦の前提が瓦解した。ここで、日本には選択肢があった。ポツダム宣言の受諾可否である。指導者層のあいだでは、ここにきては降伏も仕方がない−−原爆という恐ろしい兵器による「科学戦」の色を強調することで敗戦もやむなしと、諦観がみえた。科学戦に言及すること、それは敗因、責任の所在をうやむやにするかのようでもあった。一方で国民の中には、この状況においても特攻への幻想を抱いている者もいた。心身に苦痛を抱えた負傷者たちは米国に強い敵愾心を抱いていたので、原爆とおなじものを持った特攻隊がアメリカへ報復しているのだ、というような流言を信じていたようだ。強い期待をもっていたのだろう。実際のところは、勝つ見込みがないのが濃厚であり、ポツダム宣言受諾への動きが進められていく。メディアの様子も変わった。一億玉砕の機運から、一億降伏、一億総懺悔へ……。

8月15日正午、ラジオでの昭和天皇によるポツダム受諾宣言。国民にとって青天の霹靂といえた。この放送の予定はあらかじめ予告されていたものであったが、その内容まではわからなかったのである。多くの国民は特攻の継続を信じていたのだ。この放送に対して、昭和天皇の「科学の力は特攻も対抗し得ず」を受け入れる人、それでは特攻隊への裏切りであるし原爆死者へ申し訳ない、徹底抗戦すべきとする人など反応は様々である。特に田舎では徹底抗戦論の色が強かったようだ。空襲被害もなく、農村は飢えとも無縁だったため、一億総特攻の機運は都会のそれよりも強かった。とはいえ田舎での一億総特攻の未達への失望も長くは続かず、やがて人々は暮らしのなかに意識を戻してゆくことになる。

多くの犠牲を伴った戦争は降伏によって終焉を迎えた。一億総特攻は成らず、生き残った特攻隊員に対する国民の目は冷たかった。戦時中に神格化されてすらいた彼らだったが、この時には敗残兵となじられ、「特攻くずれ」というように呼ばれていたという。これに対する義憤をあらわにしていたのは作家の坂口安吾であった。あの戦況の中では日本独自の兵器は特攻隊にほかなかったということ、戦争を嫌う一方で、特攻隊員は讃美に値するということなどを述べた。彼らは命を捧げたわけで、だがそこに苦悩があったに違いない、ということの想像力があったのである。一方で軍は、特攻は志願者によるものであって軍中央の正式な作戦ではなかったのだとの主張をGHQに提出している。

所感

本の最後の方にまた興味深いのがあって、p234の「街の声」というところ:

甲 敗けたね、一番の原因はなんだろう。
乙 科学さ、精神力も科学の前に敗けたんだ。
甲 米国では科学者をとても優遇したってね。
乙 それなんだ。日本の政府は少しも力を入れていなかったから原子爆弾だって研究されて居ながら完成出来なかったんだな。
甲 肉弾だけでは勝てないね。日本は余り肉弾に頼りすぎた感がある。

ここに限らず、割と序盤から日本は精神論、米国は人命に愛惜があるのが弱みだ、という考えがあることが書かれているんだけど、その考え方はずっと続いているんだろうな、という衝撃があるよね。当事者じゃないのにこういうことを言うのは忍びないんだが、ブラック企業とか、ブラック研究室とかあるじゃないですか。日本には過労自殺があるほど精神論が根強いし、理系の研究室にはお金がないみたいな話もよく聞く。この敗戦は大きな出来事だったと想像するけど、その過ちの教訓になっていないのか、簡単には結びつかないのか。単純に戦争呪わしいということももちろんあるけど、その背景にあった詭弁に過ぎない精神論とか物量的な乏しさとか、この辺りは今もずっと続いているように思える。三つ子の魂百までじゃないけど、精神論が美徳のように思えてしまうのはなぜだろう? 若者が命を賭して、それが誤りだったと証明したのに。

以前に、ハクソー・リッジという映画を観たことがある。沖縄戦を描いた映画だ。アメリカの映画なので、アメリカ側のヒロイズムを喚起する内容になっている。それは置いといて、普通にエンタメとして楽しく消費したんだけど、その時私は爆弾を抱えて米兵に特攻する日本兵の描写に、正直「これぞ」と思ってしまった。ただでは死なないという姿勢を美しく思ってしまったわけだ。これは私が傍観者だからそういう心持ちになってしまったんじゃないかと、今は思う。自分は本当に彼らの後に続くのか? 降伏の選択はそれまでに払った犠牲、特攻隊員たち、原爆死者に対する愚弄であり、絶滅するとしても一億総特攻を貫徹すべきだという意見。美徳だと思う。だが、自分に、本当にその覚悟があるのか? うわべだけの支持じゃないか?

理不尽な死に際してはじめて特攻隊員の気持ちに寄り添える、かもしれない。そうなっても本当に理解できるかどうかはわからない。

これまで、勝ってさえいれば正義だったに違いない、という風な思いもあった。どこかで何か、異なることが起きて、日本が精神力で勝っていたら……。この間読んだ独ソ戦でも戦争の勝敗は物量がものを言うということを思い知らされたけど、その通りで、それしか勝ちはなかったのだな、と今は納得している。

あと、最近は戦争は女の顔をしていない(漫画版)を買って読んだ。日本では女性は非戦闘員だった(沖縄の白兵戦では竹槍などをもった女性が突撃している)けど、ソ連は共産主義国だったからか女性兵も数多く最前線にいて、その様子の話だ。兵士たちの経験や思いを辿るという意味では、今回読んだ特攻隊員の現実とも近い雰囲気があるかもしれない。読書(漫画だけど)体験としてはかなり良いものが得られたと思うので、読みやすい形式であることも含めて、いろんな人におすすめしたい作品です。

同時期の話を様々な視点でみるのはとても面白いので、今度はこの頃のイタリアの様子を知りたいなと思う次第。しかし面白い本を読むと、ちゃんと勉強しておくべきだったなといつも思う。自分の感想が尋常かどうか(そこに貴賤があるとは個人的には思わないけど)を知識の不足のせいで判断できないことが、いつも怖いと感じる。