コンシューマゲーはどうしてクリアできないのか?


アドベントカレンダー

こんにちは、fymartymです。今年触ったゲーム Advent Calendar 2019の3日目の日記です。

サ終まで永遠に続くオンラインのスマホゲーはともかく、私はこのところ――というか昔からですが――コンシューマのゲームの一本をクリアすることなく投げることが多いです(ちなみに私はほとんどRPGしかプレイしません)。

どうしてゲームを投げてしまうのか

それで、昔から、というのは、要するに児童であったときの話です。その頃はどちらかというと、使えるお金が限られていることもあって、その中で吟味して手にとったゲームはどれも宝物でした。これは運が良かった(プレイしたゲームのすべてが宝物に思えるほど自分に合っていたので)という向きもあるのですが、とにかくも、その宝物のようなゲームを終わらせたくない気持ちが湧いてくるのでした。ずっとこのゲームの登場人物たちの旅を終わらせたくない。そういう気持ちがあって、ラストダンジョンのところで放置するゲームがたくさんありました。

変わって今は、実際のゲーム体験で得られる価値によらず、気になったゲームを悩みつつも最終的に購入に踏み切れる程度には、お金を捻出することができるようになっています。一方、ゲームプレイに関する集中した時間を確保することは困難になっていきました。そうすると、ゲームを途中で投げてしまうことが増えました。それも、ラスダンなんかではなく、もっと中途半端なタイミングで。

しかし昔は昔で、ゲームは一日N時間、のような制約があったでしょうから、それに比べれば現在のほうがゲームに触れられる時間は圧倒的に多くなったようにも思えます。実際にそうだと思います。しかし、昔ほど熱意をもってゲームに臨めている気がしない。それはなぜだろうか? 下記のような理由があると思います:

今はこのようになってしまったし、高校生~大学生くらいの頃――一日のうちに許されるゲームプレイ時間の制限というものがなし崩しになって(携帯機によって制限のための監督が困難になったためもあるでしょう)、ゲームで遊ぶことのリテラシーも成熟してきた頃が、ゲームへの集中の質がもっとも高かったかもしれません。ただ、思い出は古いほど美化されるからでしょうか、今でも小学生時分のゲーム体験が一番の財産だと思っているのですが。

高校生~大学生の頃にゲーム体験の最大化ができたのは、fymartymがアルバイトの類をやっていなかったから、というのも大きな要因だと思います。もし社会で働いていたら、先にリストしたようなことによって良質なゲーム体験が阻まれたことでしょう。アルバイトをしない私の財力は、月々のお小遣いや年初のお年玉(このような制度のある、恵まれた家庭環境に感謝すべきです!)でした。fymartymは小学生の頃から引きこもり気質だったこともあり、お年玉貯金を崩すことは稀で、その積み重ねでそれなりの額(数万程度)を引き出しに備えてありました。潤沢とはいえないけれども、ちょうどいい塩梅にゲームに捻出できる程度の金額。それに、私はフルプライスでゲームを買うことはほとんどありませんでした。大学生の時分にはレベルファイブに傾倒していたので、レベルファイブの新作タイトルはフルで買っていましたが、そのほかよほど楽しみで予約するほどのゲーム(覚えている限りでは、Tactics Ogre 運命の輪。大学受験前の発売だったはず)以外は、古本屋の中古ゲーム、DL販売のセール、PSアーカイブスなどにしか手を出していませんでした。

もしも私がアルバイトしていたら――まず、他者との関わりが増えることで、ゲームについても自らにはない視点を得る可能性があります。そして捻出できる金額も多いため、フルプライスで様々なゲームを購入したかもしれません。そして、アルバイトといえど社会に出て働くということは、私の心をとても苦しめるでしょう。人間との交わりを意識させられ、自身の無能さに絶望し、打ちひしがれることでしょう。そんなことになったら? ゲームを楽しめなくなってしまいます!

戦場のヴァルキュリアを放置しています

全然アドカレと関係ない話をしてしまいましたが、もっとも述べたかったのは、ここ最近 ゲームを途中で投げてしまうことが増えました ということでした。それで、今回題材に選んだ戦場のヴァルキュリアもしかり、という話です。

任天堂スイッチは本当に偉大で、過去の名作がたくさんラインナップされています。ということでこの戦ヴァルも買ったのですが、買ったのはどうやら2019/01/27のようです。そんなに昔だったっけ……。買おうと思ったたきっかけはといえば、戦ヴァル4が発売されそうだという時期で、もともとこのシリーズの評判がいいこともあって、これがスイッチで出たら欲しいかもな、と考えたのが発端でした。それに、なんといっても、楽曲が崎元仁。私がもっとも好きなゲームサウンドクリエイターの一人です。この話はアドカレ最終日に書く予定のFF12tzaの回でも触れようかと思います。

先に、

「自分に合わない」ゲームというものにも多く出会うようになり、かつて神聖視していた「ゲーム」というものへの落胆からやる気を失ってしまう

というようなことを書きましたが、この戦ヴァルについてはそんなことはありません。どちらかというとその他のゲームに あれもこれもと手を出してしまって いるがために、途中で放置してしまう結果になってしまいました。戦ヴァルはかなり面白いゲームです。ストーリーも泣けるし(泣いた)。ちなみに用語や他ナンバリングタイトルとの関わりなどを深く知ろうとwikipediaをあたったところ、重要なキャラの死のネタバレを食らうなどしました。でもその事前情報があってなお、死のシーンは泣けましたし――知らなければもっと泣けたのかなと思うと、自分の馬鹿さ加減に悲しくなるばかりです。

コマンドRPGやせいぜいアクションRPGくらいしか腕に覚えのない私にとって、戦ヴァルのバトルパートはかなり難しいものです。脳筋レベリングでヒャッハー俺TUEEEとかできないので、いつもドキドキビクビクしながら操作していました。だからこそミッションクリアの達成感も大きいのかもしれません。でもやっぱり私は、心臓に悪いゲームよりも、時間をかければ無双できるような単純なゲームのほうが楽しくできるかも。もちろん戦ヴァルも過去マップを繰り返しプレイすることで兵装を強化したりできますが、1戦1戦がとても重くて、かなり疲れます。そんな風な、手に汗握るバランスの戦闘がこのゲームの魅力であり秀逸な点なのですが、自分が操作するキャラが被弾したりすると「うわあああ!!!」と辛い気持ちがこみ上げてくるので、楽しいと同時に強烈なストレスに襲われます(被弾するのも、被弾しないように気を張るのも)。

(途中で投げたので進めれば「意味のある設定だった」というような理解ができるのかもしれませんが)ヒロイン的なアリシアがすごく大人っぽいのにツインテールなのがなんだか不思議だな、と思っています。

ちなみに話がファンタジーじみてきたところで投げてます(敵陣営のヴァルキュリー? みたいなやつと戦ったりした)。

最後にお気に入りのシーンを貼っておわります。